様々なゲームを楽しめるゲームポータルを運営するKongregateのJohn Cooney氏は「A Decade of Flash Game Design - A Personal Retrospect」(Flashゲームの10年 個人的な振り返り)と題して、Flashゲーム開発者としての10年間を振り返りながら、Flashゲームの進化を語りま
様々なゲームを楽しめるゲームポータルを運営するKongregateのJohn Cooney氏は「A Decade of Flash Game Design - A Personal Retrospect」(Flashゲームの10年 個人的な振り返り)と題して、Flashゲーム開発者としての10年間を振り返りながら、Flashゲームの進化を語りました。
収益化の代表的な方法は当時としてはスポンサーを付けるというものがありました。幾つかあるFlashゲームサイトのいずれかにスポンサーに付いてもらう代わりに、そのサイトに独占的にゲームを提供するというものです。Cooney氏はGames of Gondarと懇意にし、1本当たり数百ドルのスポンサー料を受け取るようになります。また、コンテストへの応募も資金稼ぎの手段としてあります。もちろん出来にもよりますが、上手く行けば数百ドルを得られます。
2005年の夏は奨学金が打ち切られたため、学費を稼ぐ必要に迫られ「一番辛い夏だった」とCooney氏は振り返ります。しかし徐々にFlashゲーム開発者として地位を築いていったCooney氏は主にGames of Gondarからのスポンサー料で大学に残ることに成功します。2006年頃になると、Flashゲームはどんどんメジャーなものになっていき、開発スタイルとしても従来のような個人での開発だけでなく、複数人で共同で当たるといった方法が確立されていきます。Cooney氏のゲームもそうしたスタイルが増え、ますますゲーム開発はビジネスになっていきます。大学を卒業する頃にはスポンサー料は単一のゲームで5000ドルを超えるようなものが出てきたそうです。
さて大学卒業を迎えたCooney氏。アニメーションへの夢は捨てきれず、ピクサーの面接を受けますが、それが却って自分の適性がゲーム開発であることに気付かされたと言います。そしてGames of Gondarから社名変更したArmor Gamesに2人目の社員として加わることになります。個人の頃と同じように自由なゲーム作りをしながらも、Flashの進化と共に技術レベルも向上していきます。『Elephant in the Room』は商業的には大きなものではありませんでしたが、人気ブログのJoystiqに取り上げられメジャーとなり、同社の飛躍のきっかけとなりました。また、収益面では広告が大きく育っていった時期でもあったそうです。