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海外のPCゲームをプレイする際にお世話になる方も多い有志日本語化。今回は有志翻訳が公式採用されたデッキ構築型ローグライトカードゲーム『Vault of the Void』の開発者と翻訳者の二人に話を訊きました。
日本語化とは海外のゲームを日本語で遊べるようにすることです。その中でも、デベロッパーやパブリッシャーによる公式の日本語化ではない、ユーザーによる非公式な日本語化を有志日本語化(有志翻訳)と呼びます。一般的にボランティアで行われ、成果物は無償で配布されます。
有志日本語化には、デベロッパーやパブリッシャーが許可する範囲内で行われるものと、無許可のものがあります。最近はインディーゲームを中心に有志日本語化が公式日本語版として採用される例も出てきています。
連載第18回は、デッキ構築型ローグライトカードゲーム『Vault of the Void』有志翻訳チームのリーダー燻丸氏と、なんとゲームの開発者Josh Bruce氏自身にもお越しいただき、二人に話を訊きました。
有志翻訳に日本語力は必要か
――自己紹介をお願いします。
Josh Bruce氏(以下、敬称略)開発者のJosh Bruceです。私はオーストラリアでフリーランスのコンセプト・アーティストをしています。日中は様々なゲームの仕事に携わっていますが、その空き時間に『Vault of the Void』を開発しました。
燻丸氏(以下、敬称略)翻訳者の燻丸です。初めて手掛けた有志翻訳は『Risk of Rain』で、これが代表作になります。
――『Vault of the Void』の魅力を教えてください。
燻丸本作が『Slay the Spire』や他のローグライトカードゲームに比べて面白いのは、ルートやカードの選択がユーザーに委ねられているところです。
Josh本作は一般的なデッキ構築型ローグライトカードゲームとは異なるアプローチを取っています。この種のゲームでランダム性が強すぎると、プレイヤーは結果や戦略がコントロールできず、負けたのは不公平だと感じます。私はプレイヤーに情報を明示することで、ランダム性に根ざす問題を小さくしようとしました。敗北した時、ゲームのせいではなく自分のせいで負けたと感じて欲しかったのです。本作ではイベントやマップはもちろん、報酬のカードもすべて事前にわかるので、最初からデッキを計画できます。
――有志翻訳に携わるようになったきっかけはなんですか?
燻丸私が面白いと思う作品はインディーゲームが多く、残念ながら世の中ではあまり一般的ではありません。「もっと多くの人に遊んでもらうにはどうすれば良いか?」と考えた結果、一つの手段としてたどり着いたのが有志翻訳です。
――なぜボランティアで活動しているのですか?
燻丸自分の翻訳でゲームのプレイヤーを増やすことが動機で、お金や手柄のためではないからです。
――有志翻訳に一番必要な能力はなんだと思いますか?
燻丸そのゲームに対する熱意です。他にはなにも要りません。「日本語力」が必要だと言う翻訳者もいますが、この国で10年以上暮らしていれば問題ないでしょう。英語力についても同じです。今、この文章を作成するのにDeepL翻訳を使用していますが、驚くほどわかりやすい翻訳を返してくれます。
(筆者注:今回のインタビューは英語のテキストチャットで行いました。)
――本作の翻訳にもDeepL翻訳を使用したのですか?
燻丸その通りです。まず、DeepL翻訳で翻訳した文章を原文と照らし合わせて誤字、脱字をチェックします。そして、自然な文章に修正しながら翻訳を進めていきます。しかし、本作ではこの作業は必要ありませんでした。大部分のテキストがカードの説明文のような短い論理的な文だったからです。
――ゲームに対する熱意とはどのようなものですか?
燻丸インディーゲーム作品は規模が小さく、Twitter上でもなかなかその話題を見ることができません。「もっとその作品の話がしたい。もっと多くの人に遊んで欲しい。」という想いが私の熱意の根源です。実際に有志翻訳までする人は稀でしょうが、有志翻訳に必要なものは何かと問われたら、そういう想いが一番大切だと思います。
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熱意と情熱
――日本語のサポートは当初から予定していましたか?
Joshいいえ、そもそもローカライズの準備はまったくしていませんでした。『Vault of the Void』の開発を始めるまで、私は一度もゲームプログラミングをしたことがなかったのです。「ローカライズは計画的に」という話は耳にしていましたが、聞き流していました。ローカライズが必要なほど人気が出たら、その時に行えば良いだろうと思っていたのです。この勘違いのせいで、ゲームからすべてのテキストを抜き出すのに3ヶ月かかり、ローカライズは実に大変な工程になりました。しかし、世界中の人々にこのゲームを楽しんでもらえるようになったのは本当に喜ばしいことです。
――本作が初めて開発した作品とは驚きです。
Joshプログラミングに関してはなにもかもが初めてで、勉強することは山のようにあります。
燻丸Joshさんはプログラミング歴3年とは思えないほどプログラムを書くのが早いですよ。ゲームをプレイせずにカードのテキストが確認できる翻訳者向けのツールを作って欲しいと頼んだら、翌日にはもう実装されていて本当に驚きました。
――今回の翻訳チームはどのように結成されましたか?
燻丸最初に、Twitter上で本作に詳しく翻訳に興味がある人を探しました。そうして参加したのがshinya氏です。次に、有志翻訳者が集まるDiscordサーバー「日本語化作業者互助会」で翻訳者を募集しました。募集に応じて参加したのがAgeBdeR氏とATALOSS氏です。
――日本語化作業者互助会は、過去のインタビューでCurryDays氏が紹介していますね。
Steam“日本語化情報”グループ管理人インタビュー「自分が欲しいものは他の方も欲しいと考えて作りました」【有志日本語化の現場から】
――日本の有志翻訳者から初めて連絡があったときにどう思いましたか?
Josh時折Twitterで本作に関するツイートを探していたので、日本で少し注目されていることは気づいていました。初めて連絡をもらったのはちょうど翻訳の段取りを整えているときで、最高のタイミングでした。私は学校で少しだけ日本語を学んだことがあり、数年後に家族で日本旅行に行くため、余暇に独学で日本語を学んでいます。ですから、日本語に翻訳されたゲームを見てとても素晴らしいと思いました。
――有志翻訳を公式日本語版として採用した理由はなんですか?
Josh『Vault of the Void』は複雑なゲームです。2020年の発売以来、複数の翻訳者からコンタクトを受けましたが、私はゲームが正しく翻訳される確証を得たいと思っていました。翻訳者はゲームを楽しむと同時に、ゲームに対する情熱を持っているプレイヤーであるべきです。これは翻訳者が最高水準の注意深さと正確さをもって、ゲーム内のさまざまな用語や仕組み、その相互作用を理解していることを意味します。
――他にも理由はありますか?
Josh本作は当初からコミュニティを尊重してきました。私はフィードバックを歓迎していますし、コミュニティの要望や提案に基づいて数多くの修正を行っています。ですから、このような素晴らしいコミュニティの一員が翻訳を担うのは、うってつけだと思いました。
――燻丸氏は熱意が大切だと述べました。Josh氏も翻訳者に情熱を求めていたのですね。
Joshまさにその通りです。情熱があれば成果物に対する注意深さと正確さは向上します。この点で、燻丸さんと翻訳チームの能力は抜きん出ていました。
燻丸これまでにいくつものゲームを翻訳してきましたが、Joshさんほど有志翻訳者を信じて任せてくれる開発者はいません。ゲーム内のコンテンツだけでなく、Steamのストアページや開発記事など、ゲームに関するすべての翻訳が翻訳チームの手に委ねられたのです。
――日本語をサポートしたことは売れ行きにどう影響しましたか?
Josh各国語のローカライズを同時に配信したところ、まず日本から、次いで中国からの売り上げが大きく跳ね上がりました。日本での総売り上げの3分の2は過去1ヶ月間のもので、それ以前の売り上げは3分の1に過ぎません。日本のファンにとって本作はずっと親しみやすいものになったのではないでしょうか。
――ユーザーからはどんな反響がありましたか?
JoshGoogle翻訳を通じて目にしたツイートとSteamのレビューはすべて好意的でした。
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開発者との二人三脚
――実際の翻訳作業はどのように行われましたか?
Joshゲームから4万語以上の単語をすべて抜き出し、一つのJSONファイルにまとめて、ローカライズ管理プラットフォームCrowdinにアップロードしました。Crowdinは各国語の翻訳チームにそれを配信し、以後の変更点を追跡、管理します。ゲームが完全に翻訳されたあとでカードのテキストを修正する必要が生じても、私がマスターファイルを更新して再度アップロードすれば、Crowdinはファイル全体ではなく変更点だけを翻訳者に知らせてくれます。
燻丸Crowdinは開発者だけでなく翻訳者にとっても便利なツールです。私は普段Google スプレッドシートで翻訳作業をしていますが、翻訳済みのテキストを誰かが修正したいと思ったときは、新たに行を追加するか、すでにあるテキストを上書きしなければなりません。しかし、Crowdinでは一つの原文に対して複数の翻訳を提案できます。
――本作は早期アクセス中ですが、翻訳のアップデートはどのように行われていますか?
燻丸アップデートで問題が起きたことはありません。Crowdinは部分的な修正や新規テキストの追加といった状況を強力にサポートしてくれます。
Josh私は翻訳を意識して仕事をするようになりました。以前のアップデートは1週間か2週間に1回で、金曜日に修正を終え、その夜にリリースして急いでパッチノートを書いていました。今では月曜日から火曜日に修正を終え、翻訳チームにパッチノートを提出しています。そうすれば、翻訳チームは週末のリリースに向けて翻訳する時間を十分に確保できるのです。これは新しい開発工程で、まだ勉強中です。
――翻訳チームとはどのようにやりとりしましたか?
JoshDiscordに翻訳チームのためのプライベート・チャンネルを作成し、翻訳の過程ではなるべくオープンにやりとりするよう努めました。
燻丸開発が進むにつれてさまざまな問題が発生したので、問題の管理にTrelloというタスク管理サービスを利用しました。
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――原文を日本語に翻訳するかカタカナ英語にするかはどのように判断しましたか?
燻丸本作を英語で遊んでいる動画配信者に尋ねたところ、日本語に翻訳して欲しいという回答が返ってきました。「日本語でないとカードの名称を覚えないから。」というのがその理由です。
――他にも理由はありますか?
燻丸『Slay the Spire』の有志翻訳者Grezzzさんにカードやアーティファクトの名前を日本語に翻訳する際の基準を尋ねました。Grezzzさんはこの基準を「Fireball問題」と名付けているそうです。Fireballを「火の玉」と訳すか「ファイアーボール」と訳すかで、その世界のカタカナ英語の割合が決まります。日本語の「火の玉」と訳せば古典的なファンタジーの雰囲気になりますし、カタカナ英語の「ファイアーボール」と訳せばカジュアルな雰囲気になります。
――「Fireball問題」ですか。面白い基準ですね。
燻丸『Slay the Spire』では日本語に寄せた翻訳をしていたので、『Vault of the Void』も極力日本語を使う翻訳で統一しました。Grezzzさんから話を聞かなかったら、ほとんどのテキストがカタカナ英語になっていたかもしれません。もちろん、雰囲気を重視してカタカナや英語を採用したところもあります。
――翻訳する上で他に工夫したことはありますか?
燻丸日本語のフォントは英語のフォントより大きく、カードには1行に10文字までしか表示できませんでした。そこで、文の途中で改行が発生してゲーム体験を損なうことのないよう、原文を同じ意味の短いテキストに置き換えて翻訳しました。このような翻訳では、さまざまな言い換えを知っていることが重要になります。他の有志翻訳者が語る「日本語力」の一つですね。さらに、文章の意味を変えずに助詞の「を」を省略する工夫もしました。
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――日本語をサポートする上で技術的な問題はありましたか?
Joshたいした問題はありませんでした。大変だったのはゲームからすべてのテキストを抜き出すことだけです。これには単なるコピー・アンド・ペーストに1日あたり8時間から10時間もかかりました。
――日本語の中に中国語の漢字が混在する問題は起きませんでしたか?
Josh日本語と中国語のフォントはそれぞれの翻訳チームが希望したものを使いました。両言語のフォントは完全に別のもので、文字が混在するような問題には出会っていません。
燻丸Joshさんはどの言語も翻訳者が選んだフォントを使用してくれました。実は、日本語フォントは3回入れ替えています。
――なぜ3回も入れ替えたのですか?
燻丸最初に使用したフォントには漢字が含まれていませんでした。次のフォントは雰囲気がゲームに合っておらず、三番目でようやくしっくり来るフォントが見つかったのです。
――翻訳者からは他にどのような要望がありましたか?
Josh要望はフォントとレイアウトに関するものが大半でした。大変だったのは句点のバグ修正です。本作のゲームエンジンはこのように句点を一文字として扱い、行頭に表示することがありました。
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――禁則処理の問題ですね。
燻丸『Vault of the Void』は「GameMaker Studio 2」で開発されています。このゲームエンジンは英語のテキストを基準に作られているため、ローカライズに向いていないのかもしれません。
(編集注:「GameMaker Studio 2」はインタビュー後の2022年3月末の最新版より日本語への正式対応を始めています。)
Josh中国語にも同じ問題がありました。修正には手間がかかりましたが、素晴らしい結果をもたらしました。
――翻訳がゲームに正しく反映されていることはどのように確認しましたか?
燻丸確認は絶えず行いました。表示に不安のあるテキストがあれば、実際にゲームをプレイして「テキストは枠内に収まるか?」「漢字は正常に表示されるか?」「ツールチップは上手く動作するか?」などを確認します。私は本作を470時間プレイしていますが、確認作業に300時間は費やしたと思います。
Joshプログラミング歴のところで触れましたが、ゲームをプレイしなくてもあらゆるモンスターの能力を実際のレイアウトで確認できるツールを作成しました。ツールと言っても非常に簡単なもので、翻訳者のためだけにゲームに隠されている特別なモードです。少しでも早く翻訳者の力になろうと急いでプログラムを書きました。スクリーンショットでは正しい画像が表示されていないように見えますが、それはテキストの確認に必要ないからです。
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――ツールの改善を要望したことはありますか?
燻丸改善を要望した点はありますが、ツールで足りない部分は実際にゲームをプレイして確認しました。数百回プレイしましたが、まったく飽きませんでしたね。欲を言えば、任意のカードでゲームを開始できるツールがあれば良かったかもしれません。特定のカードを手に入れるために何度も探索を繰り返さないと、ゲーム中のテキストが変化しないことがありましたから。
Josh実は……そのための方法はあるんだ。説明書を渡しておくんだったよ……!
――翻訳で一番難しかったことはなんですか?
燻丸特に思い当たりません。難しさより楽しさが勝っていたのです。強いて挙げるなら、半角スペースには何度も悩まされました。テキストに半角スペースが入っていると、予期せぬ場所で改行が発生してしまいます。その対策として、空白でありながら改行されない「ノーブレークスペース」という特殊な文字を使うように頼みました。
――公式翻訳を手掛けて見方が変わったことはありますか?
燻丸これまでは作業の大変さから、早期アクセスのゲームで日本語化Modを制作することを控えていました。しかし、このように開発者と密接に連携して翻訳を成し遂げるのは実に楽しい経験でした。次回も開発中の作品の翻訳に名乗りを上げようと考えています。
――日本語化を通じて体験したエピソードを教えてください。
Joshとても忙しく濃密な時間だったので、すぐに思い浮かぶことはありません。しかし、ゲームの言語を初めて日本語に切り替えたときのことはよく覚えています。自分が長い間取り組んできたプロジェクトが、これほど多くの言語に翻訳され、さまざまな言葉でプレイできるのを目の当たりにして、目を疑いました。すごく心温まる体験でした。今でも信じられません。『Vault of the Void』は小さな趣味のプロジェクトとして始まりましたが、今ではご覧のとおりです。
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現場からのメッセージ
――これから有志翻訳を志す方へアドバイスをお願いします。
燻丸有志翻訳者に大切なのはゲームに対する熱意です。私自身がそうであるように、英語が得意でなくてもいい。DeepLのような機械翻訳の力を借りてでもいい。一度でもそのゲームをプレイしたことのある人が、「もっと多くの人にプレイして欲しい。」という想いで翻訳に名乗りを上げてください。その熱意に、ゲーム開発者はきっと応えてくれるでしょう。「GameMaker Studio」で作られたゲームを日本語化したい人は私に声をかけていただければお手伝いします。
――最後に一言づつお願いします。
Josh『Vault of the Void』のような小さなインディーゲームにとって、ゲームをより身近なものとするために時間を掛けてくれる情熱的なファンは大変ありがたい存在です。感謝してもしきれません。こんなに素晴らしい有志翻訳チームと出会い、一緒に仕事ができたことはとても幸運ですし、成果物にもこれ以上ないほど満足しています。これからもチームと協力して、本作を最高のゲームにしていきます。
燻丸ゲームを愛するすべての人に、そのゲームの公式Discordサーバーに飛び込み、面白いゲームを作ってくれた開発者に感謝の言葉を述べることをお勧めします。そこからこんなに深い交流が始まるかもしれません。開発者の皆さんは、これからも世界のために面白いゲームを作り続けてください。誰かが有志翻訳の提案を持ちかけるかもしれませんが、そのときは暖かく迎えていただければ幸いです。
――本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。
燻丸氏はウェブ上で日本語化の裏話を公開しています。インタビューを読んで興味がわいた方はこちらもご覧ください。
<有志翻訳>Vault of the Voidの日本語ローカライズ裏話(note)