"海外"と括るのを辞めて個別に考えようとしたとき、国ごとの違いをただ知るというのは表層的な理解です。平林氏は『Tennis for Two』に始まるビデオゲームの歴史を語りました。今表面的に現れている状況というのは歴史の延長線上にあると考えられます。各国の違いは各国の歴史の違いに起因します。歴史は置かれている環境によって大きく左右されます。
「『Tennis for Two』を開発したウィリアム・ヒギンボーサムは日本に投下された原爆の回路を設計した人物でもあり、技術の平和利用をしたいという気持ちもあった」
これは単なる美談ではありません。そもそもコンピューターの発展は政策的な軍事投資によって果たされたものです。『Tennis for Two』を作ったのはウィリアム・ヒギンボーサムかもしれませんが、作らせたのはコンピューターに莫大な投資を行ってきた米国の歴史です。また、戦争に敗れてコンピューターの発展が大きく阻害された日本で最初のビデオゲームが誕生する可能性は限りなくゼロに近かったと考えられるでしょう。