―――連載30回を迎えました。今回は特別企画です。何かのトピックスを通じてではなくて、平林さんを主語にして「ゲームの未来」を語ってください。よろしくお願いします。
もう30回。早いものです。振り返ると連載第1回を書くのに苦労しました。20年以上お世話になっている方から、土本編集長を紹介されたのが2010年5月でした。「私は平林さんの文章を中学生のころから読んでいました。ぜひ連載してください」とありがたいことを言ってくれました。でも、そのあとが厳しかった。「早く原稿ください」と急に編集長モードになって。
―――そんなことを言いましたか?
言いました。よく覚えています。私は第1回を書くにあたって、自分が肌で感じていることが、なかなか言語化できませんでした。90年代の終わり、世の中のムードは「ゲームビジネスは儲かる」と沸き立っていましたが、私はあえて悲観論を唱えました。浮かれている場合ではない。頂点に立っていて、これから下り坂になる予兆がいくつもありました。その感覚を凝縮したフレーズが、「夢のようなゲームの時代は終わろうとしている」でした。
2000年あたりからです。私は予言めいたことを述べるところから、行動をしたいと思いました。メディアに何かを書いても、下降線をたどるゲーム市場が持ち直すことはできないと考えたからです。ゲーム会社の経営にコンサルタント、非常勤役員の立場で中に入り、落ち込みに歯止めをかけたかったのです。コンサルタントというと聞こえはいいですが、ベタベタのドロドロです。毎日、明け方まで開発現場にいて、人間関係のトラブルの処理をするようなことをやっていました。もちろん、経営にかかわる一切のことをやりましたが、つまるところ「人」の問題に対処していた10年間と、自分の心の中では整理をしています。
英国のチャーチル元首相が残した名言に「成長はすべての矛盾を覆い隠す」があります。私が見た2000年以降のゲーム業界は、まさにこの言葉が当てはまる状況でした。大きくは業界構造そのもの、小さくは働く人、ひとりひとりの気持ちまで。隠されてきた矛盾が、一気にあらわになった印象があります。
ところが、2010年あたりに潮の変化を感じました。ゲームが再びおもしろくなる予感がしたのです。「予感がします」では原稿になりません。何か芯になるものを探していました。このフワフワしたような感覚を言葉にするのに4か月もかかってしまい「早く原稿」を書けなかった。
―――その感覚が言語になったのが連載1回の結びですか? 何かの題材「をゲームにする」時代から、すべて「がゲームになる」時代へ、と書かれた?
はい。「を」と「が」。たった2文字の違いが、おもしろくなる予感の正体でした。スマートフォンが猛烈な勢いで普及しはじめています。インターネットの接続環境は2000年頃とは激変しました。人は画面とコンピュータがあれば遊ぶ動物です。また、人は人とつながり合う欲求も持っています。ゲームが流行らないわけがない。そう確信してあの原稿を書きました。コンセプトとして、そういう未来がやってくるよね。はじめは夢のある物語を書いたつもりでした。ところが、同年の暮れに海上自衛隊がiPhone用の敬礼アプリを出しました。自衛隊の広報が、ポスターではなくゲームになった。象徴的な出来事でした。
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海上自衛隊ホームページより
―――ソーシャルゲームの市場が大きくなった時期とも重なります。
ゲームビジネスのおもしろいところで‥‥私は「筋」と「欲」と呼んでいますが、両方が揃った分野が成長します。すべて「がゲームになる」は、筋の良い考え方だと思います。でも、ゲームに肝心な「欲」が足りていない。広報活動がゲームになる。でも、敬礼アプリがおもしろくて仕方がなくてハマるか。そのソフトウェア開発をした人が儲かるか。人間のむき出しの欲求が満たされることではないですね。
ユーザーの「欲」を満たしてくれるのは、無料で遊べる場所だった。ソフトウェア開発をしている人が儲かるのは、課金システムだった。双方の欲が重なりあったのが、携帯電話を使ったソーシャルゲームでした。
―――ソーシャルゲームに法規制がかかったことについては?
ソーシャルゲームの法整備が整っていないことについては、「ソーシャルゲーム論ノート」の後半部分で書きました。ガチャそのものを禁止している外国の事例もあります。未整備な場所に、公正なルールができるのは良いことだと思います。
ですが、今回の規制で改めて恐ろしいと思ったことがあります。「官」の力の強さです。消費者庁がコンプガチャに違法の疑いがあると言ったら、企業が足並みをそろえて廃止を決定しました。
老婆心かもしれませんが、ソーシャルゲームの業界が、消費者庁の利権を生む業界にならないでほしいですね。日本は法治国家と言いつつ、人治(じんち)国家ではないか。裁判官が法で裁くまえに、「官」の少人数の人たちの判断で法が行使されることがままあります。それほど「官」の力は強い。
その力をおそれる「民」=業界と、その許認可や規制の権限を持つ官庁は、業界団体に官僚の天下りを受け入れるなどして、合法的にもたれあう。ありがちな光景です。財務省と銀行、保険会社。厚生労働省と医薬品業界、食品業界。国土交通省と建設業界、航空・鉄道・バス・タクシーなどあらゆる交通業界、自動車関連業界。総務省と通信業界、放送業界。経済産業省と電力会社の関係は、去年からしきりに報道されていますよね。警察庁とパチンコ業界。文部科学省と私立学校。例はいくらでも挙げられます。
今回の景品表示法違反の疑いは、あくまでも一時の消費者保護策であることを願っています。これはゲーム業界の枠を越えて納税者として注視すべき今後の動向です。
―――ソーシャルゲームはこれからどうなるのでしょう?
まず、誰もがソーシャルゲームといって想像するDeNAやグリーが提供する携帯電話を使ったアイテム課金型のゲームは、ひと言でいって「落ち着く」でしょう。この数年間は熱狂を帯びていました。その揺れ戻しが起きて、ゲーム単体の利益率は下がるでしょう。ですが、「バブル崩壊」と手のひらを返すように大騒ぎするものではなく、適度な利益水準を保ちながら、まだ成長の余地がある分野だと思います。
私は連載でも何度か書きましたが、ソーシャルゲームの定義を広くとらえています。インターネットを介して、プレイヤー同士が、競争、協力、交換、コミュニケーションを楽しむゲームは、どんなハードを使っても、どこの会社が開発しても、皆、ソーシャルゲームと呼びたい。この広い意味でのソーシャルゲーム。伸びるどころか、すべてのゲームがソーシャルゲーム化していくだろうと考えています。
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ソーシャルゲームの基本概念図
―――家庭用ゲームについては?
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―――家庭用ゲームについては?
30回の連載期間の間に、2機種のゲームハードが発売されました。ニンテンドー3DSとPSVITAです。2機種には共通項があって、ユーザーが求める価格よりも、発売時価格が高かった。このことは多くの示唆に富みます。
ファミリーコンピュータが発売された1983年以降、専用機の存在理由は明解でした。高価な汎用機のムダな部分をそぎ落としてゲーム利用に目的を特化させる。すると高性能で安価なマシンができあがります。それは独自規格となり、この規格に乗っかってソフトを供給するサードパーティは、事実上の利用料をプラットフォームホルダーに支払うことになります。自社ハードは高性能、安価、利益の3セットがそろっていました。
しかし、「家庭用ゲーム機の真の敵とは?」で触れたようにそのメリットは奪われつつあります。むしろ独自プラットフォームの開発はコストがかかり、販売価格に跳ね返ってくる。組織でも人でもよくあることですが、今までの強みが弱みに変わってしまう。そういう転換点を迎えているのだと思います。したがって、家庭用ゲーム機は単体で遊ぶのではなく、他のデバイスともつながっていく。ハイブリッド・ゲーム・コンテンツの方向に向かうでしょう。
また家庭用ゲーム機は、「ゲーム専用機」ではなくなっていく。たとえばWii Uがモニター付きのコントローラを使ってビデオチャットができたり、電子ブックの機能を果たしたり。わかりやすい例を挙げれば取集説明書や攻略本ですね。プレイステーション3は全機能を使いこなせば、すでにスマートテレビになっている、と書いたことがありましたが、楽しいコンピュータ、遊べる情報家電になっていくことも考えられます。
―――平林さんは、「これからのプラットフォームはクラウドだ」と主張されています。そのへんを詳しく説明してください。
今までのプラットフォームは、ハードウェアの独自規格の意味でした。ですが、ハードウェアはむしろデバイス(device)と呼ぶのがふさわしい時代が来ていると思います。コンテンツやサービスの魂はクラウドにあり、それを引き出すための装置という意味です。現在、オンライブ(OnLive)が行なっているようなストリーミングゲームは未来のゲーム像でしょう。
―――日本企業はこの流れに遅れているとは思いませんか?
はい。クラウド以前の問題で、逃れようのない事実として、現在の主要OSは米系企業が握っています。マイクロソフトのWindows、アップルのMac OS、グーグルのAndroid。三大OS時代といえるでしょう。さらにこれら企業は、Windows live、iTunes、Googleアカウントで顧客をIDで管理しています。このOSと顧客ID管理があったうえで、各社はオンラインストレージのサービスを提供しています。マイクロソフトならばSkyDrive、アップルはiCloud、グーグルはGoogleドライブ。
汎用OSでデバイスを普及させ、サービスを提供する際に顧客情報を得て、どのデバイスからでもアクセスできるストレージを用意する。ゲームに限らず、今のITビジネスの成功パターン、いや、もはや標準モデルとなったと言ってもいいでしょう。しかもこのビジネスの参入者たちは、競合関係にありながらも協調し合える関係でもあります。WindowsのPCでiTunesは稼働し、iPhone用にGmailやHotmailのアプリが提供されています。ライバル企業のOSにソフトウェア、アプリケーションを提供しても、何の損もない。損どころか根っことなるサービスを充実させることになり、顧客の利便性も増します。「先に気づいた者たちの好循環」が描かれています。
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アップルiMacホームページより
残念ながら、日本ではまだハード戦争の発想から抜け切れていない。ハードの販売台数が主戦場で、オンラインで結ばれた顧客数が企業の利益をもたらす、という考えが薄いように思います。ハード購入者は浮気者です。来年はどこのメーカーの機種を買うかわかりません。ですが、ID登録した顧客とは一生つき合う契りを結んだ状態になります。「ものづくり大国」と言われた日本、また優良なソフトウェアを「独占したものが勝つ」歴史を長らくみてきた日本的成功体験から、抜け出す必要があるでしょう。
私は「日本ゲーム産業、万歳!」という原稿を書きました。世界における日本のゲームソフトのシェアが下がった。ゲームエンジンや物理シミュレーションの技術分野で、日本は遅れているという言説が広まった時期でしたが、語弊を恐れずに言ってしまえば、そんなことは瑣末なことだと主張したかった。
もうハードウェアはプラットフォームとは言えない。プラットフォームはクラウドに移行している。このことに立ち遅れた今の日本の現状を、より危機意識を持つべきだと思います。
―――もし平林さんが言うように、プラットフォームがクラウドに移行しているのだとすれば、日本企業はどうすればいいですか?
具体的に企業名をあげれば、平井一夫新社長がソニーを再生してほしいですね。ソニーはネットワークサービスがあり、映画・音楽・ゲームのコンテンツがあります。ハードウェアは単なるデバイスかもしれませんが、テレビ、ビデオカメラ、デジタルカメラ、タブレットPC、ブックリーダー‥‥あらゆるデジタル機器を持っています。マイクロソフト、アップル、グーグルとは異なるかたちになりますが、ゲーム機戦争の枠を越えた「総力戦」ができる日本唯一の企業グループでしょう。
個人的にはナスネ(nasne)に注目をしています。記者発表会では、ソニータブレットとXperiaとVaioが接続できることがプレゼンテーションされていました。その姿は今までのソニーを見ているようでした。ですが、ナスネはDLNA(Digital Living Network Alliance)という国際統一規格にしたがった製品です。ソニー製品でなくても接続できます。また、ナスネに対応したアプリケーションをソニー以外の会社が開発することもできるはずです。
ハードウェアをプラットフォームと考え、そこに壁をつくるといった旧来の考え方から離れた製品を、賢明な開発者たちがつくりました。素晴らしいことだと思います。ですが、実際に発表をする段になると、ソニー色で染まってしまった。さて、ナスネが持つ本来の「どのメーカーの製品ともつながる」が実現するか。それとも、こぢんまりとしたソニー内のソニー製品となってしまうのか。ナスネはハードウェアの販売台数などではなく、この開かれた機器を、ソニーグループはどのように取り扱うのかに注目をしています。
―――任天堂は?
私はここで概念的なことを述べました。世界、おもに米国ではOS、顧客管理、ストレージが三位一体となったITビジネスが主流になっているという話ですね。任天堂も結果として、これに近いことを今回のE3で発表するかもしれません。ですが、任天堂の歴史を見てみるとNTTが民営化されたときに構想を発表したディスクシステムの書き換え方式、BS放送が開始したころのサテラビューのように、カタチから入ったものは往々にして失敗をしています。
故・横井軍平さんは、入社早々に現・山内溥相談役に「おもしろいものをつくれ」とだけ命じられたと伺ったことがありますが、それが任天堂の企業哲学です。
まず「おもしろい」がありきで、そこに必要であればネットワークサービスやストレージサービスがついてくる。他の企業と比較することにあまり意味はない。比較することよりも「おもしろい」をつくっているかどうかが、目先の話としてWii Uの、長期的には任天堂の将来を決めるのだろうと思っています。
まとめます。
「ものづくり」は開発者のピュアな情熱が込められ良質なものができます。言い換えると純血であろうとするのが「ものづくり」の特徴です。ですが、2010年以降は「ものづくり」だけではビジネスは成功しにくくなっており、「ものつながり」が重要になってきています。比喩がいささか粗野になりますが、純血主義を捨て、進んで混血の道を進むことができるか。日本プラットフォームの現在を、純血から混血への対応時期という視点で見ています。
■著者紹介
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株式会社インターラクト(代表取締役/ゲームアナリスト)
1962年・神奈川県生まれ。青山学院大学卒。85年・出版社(現・宝島社)入社後、ゲーム専門誌の創刊編集者となる。91年に独立、現在にいたる。著書・共著に『ゲームの大學』『ゲーム業界就職読本』『ゲームの時事問題』など。現在、本連載と連動して「ゲームの未来」について分析・予測する本を執筆中。詳しくは公式サイト、公式ブログもご参照ください。Twitterアカウントは@HisakazuH、Facebookアカウントはhttp://www.facebook.com/hisakazu.hirabayashiです。