9月2日、日本のAppStoreに掲載されたアプリのうち、ダウンロード数1位となったのはゲームアプリ『ポケットベガス』でした。この『ポケットベガス』を開発し、メンテナンスを行っている株式会社ゼペットの代表取締役・宮川義之氏は、ゲーム業界で働くことを夢見る学生たちを前に、職能を磨くことの大切さについて話しました。宮川氏は18歳という若さで株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社。『聖剣伝説2』(スーパーファミコン)から『ファイナルファンタジーXI』(PS2)まで、数多くのタイトルの開発に携わったのち独立。現在は株式会社ゼペットにおいて、たったひとりでゲーム開発を行っています。■流浪の果てに家庭の事情により、高校に入った頃から就職しなければという意識があったという宮川氏は、お金を稼ぐことを学ぶため15歳のときにハンバーガーショップでアルバイトを始めました。そこで月に数万円のバイト代が入ってくると、パソコンが欲しいという思いが強くなりました。というのも、パソコンがあればゲームセンターのゲームと同じくらいすごいゲームが遊べると聞いたからです。「それは凄い! 3万円のバイトを1年間続ければ20万円のパソコンが買えるじゃん!」という思いが、モチベーションとなりました。1年後、念願のパソコンを手に入れた宮川氏は、パソコン雑誌で情報を集めているうち、ネット時代の到来を知ります。そこでモデムを購入。ネットの世界へと飛び込みます。そこで「人生の転機があった」と宮川氏はいいます。「ゲームクリエイターの行動や考え方に触れることができ、直接やりとりできる。その上、ゲームを作るのにパソコンしか使ってないという話を聞いて、びっくりしました」ネット上で知り合ったゲームクリエイターに薦められ、宮川氏はパソコン関連の書籍を購入しようとしますが、当時は扱っている書店自体がほとんどありませんでした。そこで書籍を持っている人の家に押しかけ、泊まり込みで読んだこともあったといいます。が、それでも本の内容はまったく理解できませんでした。しかしながら、そうした活動をしているうち、自分にとって遠いところにいたはずのクリエイターと接する機会が増え、オフ会やゲームセンターでも会ううち、いつしか友達と呼べる関係になっていたといいます。17歳。当時は「『俺のクリエイティビティ(創造性)を見せつけてやらぁ!』という活気があった」と宮川氏。遊んでいるとき誰かが『テトリス』をやりたいと言うと、先輩たちは自分たちでプログラムし、『テトリス』を作ってしまう。そういう場に立ち会った宮川氏は、ポイントをつかめば何でもできると思うようになります。やがて自分でも『ボンバーマン』を作ってみようと、先輩からアドバイスをもらいながら、プログラミングを始めます。その頃から、何かをやろうとするときに、つまったら人に聞き、教えてもらうという作り方の道筋ができたといいます。宮川氏は夏休みにゲームを1本完成させ、それを近くにあった株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)に持ち込みます。休憩スペースにそのゲームを置いてもらうことで同社のクリエイターに遊んでもらえ、それが採用につながったとのことです。■それから20年そして20年後の現在。宮川氏は「37歳になったが、やっていることは基本的に17歳の頃と変わっていない」といい、この20年のあいだに気をつけたきたことが、大きく分けて3つあると話します。ひとつは「自己投資」。高校生の頃にパソコンを買うという自己投資をしたことで、すべてが変わり、結果的には大学に進学するより安く済むというメリットもありました。氏は「自己投資や、自己投資のためにお金を稼ぐことに躊躇してはいけません」と語り、「今なら1ヶ月頑張れば、次のステップへ進めるだけのお金が貯まるはず」といいます。もうひとつは「クリエーターとの交流」。ゲームクリエイターと会える機会があれば会ってみて、話を聞く。そうした交流があると、自分が壁にぶつかったときクリエイターに相談することができるとともに、彼らの言葉がモチベーションの維持にもつながるといいます。ただし、「ゲームをやっていないと知り合う相手も見つからないし、いい人と巡りあえたときにその人が作ったゲームをやっていないとなると、話がまったく進みません」と、普段からゲームに接することの重要性を説きます。そして「作ったものを人に見てもらう」こと。宮川氏は海外で開催されるApple社のパーティに参加し、自分の作ったゲームを見てもらうといいます。そこで出会った人たちが、宮川氏のゲームを世界中に広めてくれているとのことです。■文化的資料『まんが道』また宮川氏は、ゲーム開発を進めるうえでの「最重要文化的資料」として、藤子不二雄Aの著作『まんが道』を挙げました。聴講生は大部分が学生と若いため、この作品について知らない人がほとんどでしたが、氏は「これを読むと、偉大な天才と呼ばれる人たちにもくじけそうなときがあり、それを同志や仲間とともに乗り越えていったことがわかる」と薦めます。また、クリエイターに接する際、変に「彼らは天才だから…」と気負うことがなくなるのではないかと話しました。■今の時代の良さ「今の時代、もし自分が1993年の生まれの17歳だったら…」と宮川氏。やはり数多くのゲームをし、iPhoneの無料ゲームをたくさん遊んだであろうとのこと。就職のために勉強が必要だとなれば、MacBookを購入し、iPhoneアプリの勉強をするといいます。「昔はパソコンでゲームを作っても、ゲームセンターのゲームと勝負しようとすると道のりが遠く感じたが、今はプロとの距離が近いという意味で環境に恵まれており、気軽に人に見せることができる」と話しました。学生にとって、何かひとつ自分の作ったものを持つことは強力な武器になるといい、実際に自作のiPhoneアプリを持って就職活動をし、成功した例もあったといいます。これからiPhoneアプリを開発しようという学生に向けて、氏は『たのしいCocoaプログラミング』(と、自ら著したパートもあるという『iPhoneのオモチャ箱』と)を薦めました。『たのしいCocoaプログラミング』は、プログラム言語であるC言語を知らない人でも楽しく読めるよう、ステップバイステップで書かれているといいます。■誰かに見てもらおうゲームを作ったあかつきには、人に見てもらうことと、コツコツ改良を続けていくことが重要だといいます。「常に自分で題材を見つけ、目標を作ることが大事」と宮川氏。特にiPhoneアプリでは、もはや出ていないゲームはないのではなないかと思われるほどたくさん出ているものの、そこから少しひねれば新しいものを生み出せるといいます。アプリを人に見せるという点については、勉強会やセミナーなどに参加し、ヒットアプリを生み出した開発者に見てもらうと良いといいます。そこで就職への糸口がつかめる可能性もあるとのことです。「心理的なハードルが高ければ、銀座のAppleストアの前にただつっ立っているような人に遊んでもらってもいい」とさえ氏はいいます。「たとえその時は作ったものをけなされたとしても、必ず新しい道が見えてくるはず」■宝島があると信じて宮川氏はさらに続けます。「ここまでの話を聞いて、僕のことを少数派だと思ったかも知れない。けれど、クリエイターというものは少数派になってなんぼ。そこから大多数を出し抜くことで生き残っていく。今は新しい未来を切り開くチャンス。誰も知らないことに挑戦できるし、宝島のようなものが眠っている」と。「挫折しない心を持つことができれば、誰もがゼロから物を作っていけるはずです」
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