◆20年前から今に至るまでの据え置きゲーム機をおさらい
株式会社コナミデジタルエンタテインメントの植原一充氏がモデレーターを務めた本セッションは、20年前の据え置きゲーム機のおさらいから始まりました。今回のセッションで話題に挙げられたゲーム機は、以下のように分類されています。
・第6世代
ドリームキャスト(1998年)、PlayStation 2(2000年)、ニンテンドーゲームキューブ、Xbox(ともに2001年)
・第7世代
Xbox 360(2005年)、PlayStation 3、Wii(ともに2006年)
・第8世代
Wii U(2012年)、PlayStation 4、Xbox One(ともに2013年)、Nintendo Switch(2017年)
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◆第6世代を振り返って
おさらいが済むと、セッションは植原氏が登壇者一人ひとりに議題を投げかけ、回答を引き出す形で進行しました。
■PlayStationからPlayStation 2への変遷を経てどう感じたか?
山田PlayStation(以下PS)はテクスチャーのパーステクティブコレクションなどがなく、"3Dをやるにはまだ微妙に足りない部分がある"マシンでした。ですが、PlayStation 2(以下PS2)ではそれらの機能が備わり、これでやっと3Dが作れるなと。PS2はシンプルな機能ながらものすごいバス幅やアクセススピードがあり、それをどう使いこなせばいいか、とクリエイターとしてすごく楽しかったハードです。
■ドリームキャストとはどのようなハードだったか?
厚ドリームキャスト(以下DC)には、今話に挙がったパースペクティブコレクションなどの機能が備わっておりまして、今日の3Dハードの原点はDCだったのではないかと自負しております! とはいえ、数値の上ではPS2に負けていた面もあります。PS2のDRAMバス幅が2560ビットあると初めて知ったときは「これは誤植なのでは?」と思ってしまったくらいです。
ただ、DCのGPUであるPowerVR2には半透明ポリゴンのピクセルソート機能があったのですが、こうした機能は、実は今日のゲーム機にも備わっていないんです。そういう意味では、夢のようなハードではあったと思っています。
■PS、PS2、DCの3ハードでゲーム制作をしてきた感想は?
岩永私が手がけた1998年稼働のアーケードゲーム『ソウルキャリバー』は、SYSTEM12という初代PSとの互換性を持つ基板でのリリースでした。後日、それをDCに移植することになりまして、何もかも作り直しました。その後PS2の世代になって、またまったく違うハードに関わることになりました。オリジナルのアルゴリズムできれいなグラフィックスを実現するために必死にプログラムを組む……当時はそういう時代だったと思います。
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ここで植原氏が「respon」で寄せられたコメントの中から「PS2は最初ハードウェアのマニュアルだけしかなく、ポリゴンを出すまでの準備は時間がかかった」というものをピックアップ。次の議題は「ポリゴン黎明期の思い出話」となりました。
山田たしかにそうでしたね。開発者には、今でいうところのグラフィックス・ドライバーが実行しているコマンドが一つひとつ書かれている本を渡されるんです。それを1ページずつ見ながら、コマンドを覚えていって……(笑)。でも当時は、その本を貰ったこと自体が嬉しくもあったものです。
岩永それが通称"黒本"と呼ばれる辞書のようなマニュアルで、コントロールするためのプログラムを必死で書いていました。覚えがいのあるハードでしたね(笑)。
厚DCはWindows CEがベースということもあり、Windowsとも互換がありました。その機能を使ってくれるタイトルはほとんどなかったのですが、今にして思えば、これ(Windows互換)ってある意味Xboxにつながる流れとも言えるのかなと。今日のゲーム機に"血"だけは残せているのかなと思うと、感慨深いものがあります。
■PS2の世代で絵作りが一段と変わったように感じているが、当時の苦労話やブレイクスルーは?
山田ポリゴンのニアクリップなどを自分で書かなければいけないというのは衝撃でしたね……。最初はがんばって書いていましたが、後期にはコンパイラが出てきてプログラムしやすくなりました。
岩永少しでも綺麗に見せたかったので、二つの画面をα合成できる機能で上下方向にボカして擬似諧調を作り、疑似的に18万色表示できるようにしたりしていました。そういうおかしなことをやって作ったのが『ソウルキャリバーIII』でした。
■DCの色味は他のハードと違っていたような気がするが?
厚DCはすごく出力が明るいんです。RGBで接続すると起動画面は灰色に見えるのですが、でもビデオ端子でテレビに接続するとそれが真っ白に見えるくらい明るくなります。そういうところが、鮮やかな色を出すというような印象を生んでいるのだと思います。
◆第7世代を振り返って
■PS2からPS3に移行しての感想は?
山田高い計算力を何に使うのかが悩みどころでした。ピクセルシェーダーが使えるようになって、メモリが増えて、作れる幅が広がって。「こういうのは作れるか」と聞かれると、大抵のことは実現できる。だからこそ、どれを実行するかの判別・ディレクションが重要になったなと。
厚話題からは半世代前のハードのXboxでシェーダーが使えるようになったのが、この時代の一番の特徴だと思います。開発の際の自由度が全然違うんです。それまでは固定機能の組み合わせをがんばって絵作りをしていましたが、プログラマのウデで本当になんでもできるようになりました。でも、リソースに制限はあるのは変わりありませんので、その中で本当に効果的なのはなんだろうと模索していました。
岩永ひとつ前の世代のゲームの画面を最新ハードで出力してみると、違和感があるんですね。それまでは(ブラウン管の)画面がぼけて、なんとなく被写界深度っぽく見えていたものが、解像度が上がってクッキリハッキリとしたことで、まるで宇宙空間のように見えてしまうようになって……(笑)。これからはDOF(Depth of Field。被写界深度)をしっかりかけないとダメだね、と話していました。
■この頃にディファードレンダリングが流行りはじめて、それが転換点だったように思えるが、それぞれの見解は?
厚弊社はディファードレンダリングに取り組むのがちょっと遅かったのですが、PS3がなんでもできるハードであるがゆえに、初期は細かな違いでシェーダーがどんどん増えてしまう"組み合わせ爆発"の問題があちこちのデベロッパーさんで起きていたのではないかと思います。それを解決するのがディファードレンダリングでした。
山田ディファードレンダリングで、絵作りがこんなにも変わるのかと衝撃を受けました。それまでのライティングは見た目重視でやっている面もありましたが、これからは実際のライティングをきちんと意識しないといけないなと感じました。
岩永そうしてディファードレンダリングが当たり前になると、そこで独特のグラフィックを実現するにはもうひと工夫考えないといけない。そのためにはやっぱりフォワードレンダリングでやりたい……とか、いろいろ葛藤しながら過ごした時代でした。
■当時、海外タイトルでグラフィックに衝撃を受けた作品はあるか?
厚PS3末期のNaughty Dogのソフトですね。「ここまでやられちゃうと困るなぁ」と思いながら見ていた時期はありました。
山田『アンチャーテッド』はもちろん、ディファードレンダリングを採用したGuerrilla Gamesの『KILLZONE』シリーズも衝撃でした。ウチもこういうのをやっていかないといけないな、と強く感じました。
岩永最近の話になりますが『Horizon Zero Dawn』を見たときは「(もう)ムリ」と思いましたね……。でもなんとかやっていかなければと思いなおしましたが。
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