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翻訳にまつわるエトセトラ
有志翻訳の多くはプロのものに引けをとらないと思います
――ゲーム翻訳に一番必要な能力はなんだと思いますか?
陽炎01型氏忍耐力だと思います。翻訳には完成の理想がありますが、そこにたどり着くまでは何かしら苦労します。それを耐え忍ぶことができれば立派な翻訳者だと思います。これは自戒でもあります。
――苦労が多いのはどの部分ですか?
陽炎01型氏作中の固有名詞、特に人名の良い訳が思いつかないと大変ですね。どうカタカナにするか、音に合わせるか、字に合わせるか、どの国の言葉をベースにするか。重要ワードになると絡む文も多いので少し苦しくなります。だいたい全く関係のない箇所を訳しているとふと思いつくので、とりあえず適当なものを置いて後で一発変換しましょう。止まるのは最後です。
――特に翻訳が難しい表現はありますか?
陽炎01型氏ゲーム翻訳に関しては一人称選びに苦労します。キャラクターが自分自身を“どう見て欲しいのか”を示す言葉なので、慎重に選ぶ必要があるからです。
――英語では自分自身を指す代名詞は“I”だけですが、日本語は非常に多いですね。
陽炎01型氏中国語でもほとんどが“我”なので、どの一人称にするべきか悩みます。幸い、訳しているうちに定まるので大丈夫です。
――どの一人称を選ぶかの基準はありますか?
陽炎01型氏内向的か外交的か、当人のジェンダー意識、あとはセリフ回しなどを参考にしています。ちょうどいい一人称を探るには、現実で様々な人と関わることが大事かと思います。これも自戒です。
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作者はインタビューにも登場する致意氏(画面は開発中のもの)
――翻訳を通じて新しい知識が得られることはありますか?
陽炎01型氏あります。主に軍事・経済分野を専門としていたのですが、翻訳を始めるようになり、専門外の分野に触れる機会が多くありました。とくに致意氏の手がけた作品では、彼が理系ということもあって理化学や法医学について学ぶきっかけになりました。作中に登場する教授が法医学の講義をするのです。推理にもかかわるシーンなので、よく調べたと記憶しています。
――辞書はどのように利用していますか?
陽炎01型氏最近はオンライン辞書がかなり充実し、紙のものを繰る機会は少なくなりました。強いて言えば古語辞典や、昔の30年以上前の国語辞典を引くことが多いです。遥か過去の会話シーンや、お年寄りのキャラクターが言葉をどう捉えていたかを探るツールとして使っています。現代の言葉はオンラインで変遷を追えますが、昔の資料は紙が主ですからね。
――どのようなツールを使用していますか?
陽炎01型氏実は翻訳支援ツールはあまり使っていません。OmegaTくらいでしょうか。普段は主にVisual Studio Codeを使っています。というのも、日本語表示のためのコード書き換えや、開発版を弄る機会が多いからですね。拡張機能も充実し、大変満足しています。日本語吹き替えの台本を書く場合はO's Editor2を使います。表示スタイルの切り替えと、実際の印刷物とのギャップが少なく重宝します。
――日本語吹き替えにはどんな苦労があるのでしょうか?
陽炎01型氏時間的制約がなかなか厳しいですね。訳文を実際に読むのは私ではなく役者さんなので、収録現場で台詞に改変の余地を持たせたり、アドリブを入れられるように早めに台本を作っています。
――収録現場にも立ち会うのですか?
陽炎01型氏そうですね。私が日本語監修を兼ねることが多いですから。趣味で吹き替えをすることもありました。役者さんたちは言葉を使うプロなので、訳している時には気づかなかった言い回しを提案してくださることもあります。これはありがたいですね。勉強になります。
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――プロの翻訳者になる上で、有志翻訳の経験が役に立ったことはありますか?
陽炎01型氏翻訳作業そのものは有志翻訳もプロ翻訳も大きな差はないと思います。ですが、翻訳環境はプロ翻訳の方が厳しいことが多いです。今訳している文章はどこで使われるのかを察する力は有志翻訳で培われるかと思います。
――プロの翻訳者の目から見て優れている有志翻訳作品があれば教えてください。
陽炎01型氏有志翻訳の多くはプロのものに引けをとらないと思いますが、強いて挙げるならyagimaya0401氏の『Total War』シリーズの日本語化でしょうか。『Total War: ROME II』の時代に対する理解の深さと、『Total War: WARHAMMER』シリーズの定訳に縛られない的確な翻訳には唸らされます。
――有志翻訳と商業翻訳はどのような関係を築くのが理想だと考えますか?
陽炎01型氏おおよそ現状維持でいいと思います。どのゲーム開発者もローカライズにかけられる予算が大きいわけではないので、様々な形態が乱立するのはやむをえないと思います。また、有志翻訳があるからといって、プロに翻訳を依頼しないわけではありません。
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中国翻訳最新事情
自由な表現ができる前提があって作品がつくられますから
――以前と比べてゲームの中日翻訳の仕事は増加していますか?
陽炎01型氏私個人の主観ですが、増加しているように思います。中国経済の発展に伴い、パブリッシャーの経済力も強くなり、多くの作品が日本語に訳されて進出しています。日本での売れ行きは上々のようで、今後もリリースが続くことでしょう。
――どのような仕事が多いのでしょうか?
陽炎01型氏依頼の多くはソーシャルゲームの案件です。この手のゲームは継続してコンテンツを出す必要があるため、依頼が絶えません。ですが、私個人の趣向で実際にお請けするのはインディー作品が多いです。インディーに対して中国のAAAにあたるのは国策ゲームなどでしょうか。あまりに政治色が強いので国外に出ることはほぼありませんね。
――国外に出ないゲームとはどのようなものですか?
陽炎01型氏愛国精神を涵養する軍事的なものですね。『強軍』などがそれにあたり、尖閣諸島沖の日本艦隊を中国軍の攻撃機が殲滅したりします。以前Steamにもリリースされたのですが、残念ながら中国国外でのプレイはサポートしていないようです。正直なところ、出来はいまひとつです。ノウハウがまだ足りないのでしょうか、作り慣れていない印象を受けました。そのあたりは中国のインディーゲーム開発者やMod開発者に一日の長があると思います。
――インディーでは優れた作品もあることを考えれば、官に近い話なのでしょうか?
陽炎01型氏そうですね。国からの支援金が出るので様々な作品が出ましたが、作品の性格上、国外市場は見込めないので伸び悩んでいるようです。
――そのような作品は一般市場で販売されているのですか?
陽炎01型氏国策推進が主目的ですから、販売されていることは少ないですね。実は、中国はあまりPCゲーム販売市場が成熟していません。国外作品を禁じた時代があまりにも長く、海賊版がはびこっています。一方、モバイル市場では日本同様ソーシャルゲームが巨大な市場を作っているのが印象的ですね。
――過去のインタビューでは中国の方が「国外パブリッシャーの多くは中国で公式にゲームを販売していない」と話していました。
陽炎01型氏遺憾ながら、事実だと思います。そのため中国Steamでは日本や欧米諸国と比べて正規価格を安くしてゲームを販売しています。ロシアも同様ですね。
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――中国語特有の翻訳が難しい表現はありますか?
陽炎01型氏中国を舞台にした作品だと、料理の翻訳に頭を悩ませます。餃子や饅頭など、日本でもおなじみのものならともかく、日本語の定訳がないものは大変です。現地の漢字を日本のものに置き換えてルビや訳注をつけたり、どうしても漢字が表示できずに、改変許可をいただいたフォントをテキストに合わせて調整したりすることもありました。苦労はしますが、こうした工夫が作品への没入感を高めると信じています。
――フォントでも苦労があるのですね。
陽炎01型氏ウェブ媒体では中国語フォントが使えますが、ゲームでは別個埋め込んだり、フォント指定を変えたりして対応します。フォントの権利関係は、許可をいただけるよう交渉すればだいたい大丈夫ですね。フォントの埋め込みではなく、画像のみの利用が可能な場合は、それを利用することもあります。
――中国の四字熟語や漢詩はどのように翻訳するのですか?
陽炎01型氏やはり苦労しますね。四字熟語やことわざでは日本で同じ意味のものをあたって、「~不打不相、雨降って地固まるっていうじゃないか。」などと両文併記したりします。漢詩はセンスが問われて大変ですね。日本語で韻を踏むのは違った言語感覚が必要です。
――中国の法律や政策は翻訳に影響を及ぼしていますか?
陽炎01型氏翻訳についてはあまり影響はありません。ですが、ゲーム開発の現場では政府の制御下に置けないゲーム開発を統制しようとする動きが目立ちます。中国のゲーム作品が今後国外でリリースできなくなるのではないかと危惧しています。
――中国国内だけでなく、国外でのリリースに影響を及ぼす可能性もあるのですか?
陽炎01型氏政府などに“自粛”を求められると、パブリッシャーが統制のきかない国外市場への参入を取りやめる可能性があるからです。中国仕様のSteamがリリースされる際も中国内外のゲーム交流がなくなることが危惧されました。一番恐ろしいのはクリエイターたちの自粛です。自由な表現ができる前提があって作品がつくられますから。
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――中国の有志翻訳の現状について教えてください。
陽炎01型氏私の観測する限り、中国の有志翻訳コミュニティは2種類に分類できます。
ひとつは大規模でオープンなコミュニティ。開発側から公式中国語化という形で翻訳環境が与えられているとこうなることが多いです。訳の質はそれなりですが、翻訳者の数と勢いでものすごい速さで中国語化してしまいます。「とりあえずやってみよう」というハングリーな精神が完成にこぎつけてしまうのでしょうね。
もうひとつはアングラ的で小規模ながらも強力なコミュニティ。中国では国外作品を堂々と輸入できない時期が長く続きました。その一方で、解析技術が進展し、だいたいのゲームの中国語化にこぎつけています。こちらの翻訳者は人数こそ少ないものの精鋭が揃い、クセのある英文も難なく訳してしまいます。
どちらも性格は異なりますが、文化的な背景があってユニークですね。
――アングラなコミュニティの人間がオープンなコミュニティに加わることはありますか?
陽炎01型氏それはあると思います。ただ、中国百度内のコミュニティは少し閉鎖的な傾向があるように思いますね。友人同士しか入れない小コミュニティが乱立しているというか、個人的にはDiscordのサーバーが近いかと思います。もちろんこれは外国人から見た私見なので、実際は違うかもしれません。
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プロのゲーム翻訳者からのメッセージ
悩んでいる暇があったら行動することが大事です
――プロ・アマを問わず、ゲーム翻訳を志す方はなにから始めれば良いですか?
陽炎01型氏人それぞれだと思いますが、私は好きな作品から訳すことをおすすめします。自分の実力を知るいい機会になります。もちろん翻訳学校などに通って基礎を身につけるのも良いと思います。とりあえず悩んでいる暇があったら行動することが大事です。
――有志翻訳者からプロの翻訳者になるにはなにが必要だと思いますか?
陽炎01型氏二つあります。まずは人脈でしょうか。有志翻訳で知り合ったゲーム開発者の繋がりは「次の仕事」を呼び、仕事の実績は「新たな仕事」を呼びます。続いて勇気もあるといいでしょう。自分が気になったゲームの開発者へコンタクトしたり、翻訳会社へのトライアルに挑戦すれば道は開けるかもしれません。とりあえず動いてから考えるくらいでいいと思います。
――これからゲーム翻訳者を目指す方へ一言お願いします。
陽炎01型氏困ったら風呂入って飯食って寝ましょう。
――最後に、ゲーム開発者に伝えたいことはありますか?
陽炎01型氏メールやSNSなどでコンタクト先を設けていただけると助かります。お伝えしたいことがあってもアクセスできないと大変でして。
――本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。